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つくよみの歌 3

あるじに案内されて、男は店に入った。
開店したばかりなので、当然まだ客はいない。

「どこでも好きな席にどうぞ」
あるじの言葉に、店をざっと見渡す。さほど広い店ではない。カウンターに10席と、テーブルが3つ。15人ぐらいでいっぱいになりさうな規模である。男はカウンターの隅に席を取った。カウンターの後ろがガラス張りで、あるじに向かい合うと外の景色が見渡せる。さほど気の利いた景色が見える訳ではないが、狭い店の閉塞感をうまく取り除く効果はある。

「なんか飲みますか?」
あるじの問いかけに、男はビールを注文した。濃い色のサングラスを取り、胸のポケットに仕舞う。さういふものを無造作にテーブルに置かないところから見ても、この男がそれなりに甘くない人生を送って来たことがわかる。
ほどなく、ビールと小鉢が男の前に置かれた。ビールはよく冷えてゐて美味い。小鉢にはせんべいのやうなものが入ってゐる。手に取ると羽のやうに軽く、一口齧るとサクサクした食感の中にエビの味が広がる。気の利いた突き出しだ。

手元にメニューらしき冊子がある。見事な毛筆の手書き文字だ。ところどころに、やはり毛筆でちぃさな絵が描かれてゐる。魚だったり、鳥だったりはわかるが、猫や蛇、トカゲといったものたちまで描かれてゐて、およそ飲食店には相応しくはない挿絵だが、あっけらかんとしたタッチは、いくつかの品書きと品よく同居してゐた。

「けふのライヴはいつ頃始まりますか?」
男が訊ねた。
「あ〜、ウチはだいたいお客が集まってから、で、特に時間は決まってないんですよ。で、これが客もライヴに合わせて来やがるもんで、このごろは開演時間がどんどん遅めになって来ちまってて・・・」

あるじが笑いながら答えた。