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2021
楽師のつぶやき
更新が滞っておりますしーシュのブログ
ごめんなさいね。
コロナが〜といふ接頭語にももぅ飽き飽きしたかんぢですが、だらだら続くこの混乱にも、人々が慣れ、またその慣れから生じる新しい混乱もあり、まぁ人の世といふは無常といふか性懲りのない、といふか・・・
楽師といふものは、雇い手=聴き手、があって初めて成り立つ仕事ですが、まぁそればかりではない。こんなご時世の中、もっと混乱した世界の中にあっても、楽師、音楽家といふは存在しております。たれに求められる訳でなくとも、自らを音楽家として存在させる事ができる人だけが、真の楽師と言へるでしょう。
昔、酒の席でこんな議論をした事があります。
今のニポンは幸いにも豊かで自由であり、プロであらうがアマであらうが、音楽をやる、やりたい、といふ意思が「体制の力」で挫けることは、ほぼないと言へるでしょう。あるとすればそは「家庭の事情」で、私は知っておりますが『日頃の仕事だけで火の車なのにツアーに出るなんざあーたは何を考へてゐるの?』と云はれる楽師もゐたと聞きます。
ま、それはそれで勝手にやってください。
問題なのは、「自由に音楽をやってはならない」といふ力が働く場合です。
世界には、不幸にもまださういふ国がいっぱいあります。政治的に、風潮的に、宗教的に、音楽が許されない国。忘れがちですが、ツイ数十年前のニポンもさうだったのです。そして、このたびのコロナ状況下でも・・・・。
そんな時勢の中で、我は楽師なり、と高らかに言へるモノであるか?。
銃を向けられ、歌ったら撃つ、と言はれて私は歌えるか?。
たれも音楽なんぞ求めなくなった中で、ただ自分の心のためだけに、音楽を作り続ける事ができるか?。
私は今もそれを考へ続けながら、楽師をやらせていただいております。
世界が終りを告げる時 僕たちは一緒には居られない
しーシュ2021年作品「夕闇を待つ猫たち」、リリースと相成りました。
3rdアルバム「3時のあんた」以降、コンスタントに年一枚の作品をアップしてまいりましたが、昨年2020年はそれぞれのソロに取り掛かった為にナシ。そのぶん年明けすぐから準備を始め、パンパーン!と録りました。
今回、当初はマキシ・シングルのつもりでおりましたが、作ってゆくうちにあるコンセプトが浮き上がって来て、これを主軸に「ミニ・アルバム」としやう、となったのです。
そは「夕闇を待つ猫」といふ曲を書いた事によります。
この曲、作ってゐた時は意識しておらなんだのですが、歌詞を書きすすめるうちに、これはコロナ禍に喘ぐ人々の心情そのものではないか、との思ひに至ったのです。
いま一番会いたい人は誰か?、一番そばにゐてほしい、そばにゐたい人は誰なのか?
感染症の事を置いとくとしても、我々は望んだ場所で望んだ人と望んだ形の邂逅や別れができる訳ではありません。
手を握り肩を抱き合い『いつまでも元気で』と言葉を交わす事のできる別れは、極めて「幸運」とも云へます。多くの場合我々は、『あぁ、あの時が最後だったのだ』といふ後悔とともに、人と別れるのです。
別れの言葉も交わせなかった、といふ事実に、我らは何度落胆して来たことでせう。
そこに思ひ至った時、これをいま発表せずしてなんとする!といふ、私にしては大変めずらしいポジティヴな衝動に駆られたのであります。
まぁ、そんな事は置いといても、良い作品に仕上がったと自負しております。
是非とも、聴いてみてくださいな。
シュウ
線と板の主張
シュウによる著述
学生時代、バンドのドラマーがスタヂヲに入るなりバシャバシャ叩き始め、他のメンバーが準備してるのも構わず一人で盛り上がってゐるのが評判悪かった。
楽士は、担当楽器によってその準備にかかる手間はそれぞれ違う。
まぁ本来ドラマーは、何もない場所に自分で楽器持ってきてセットして、から始めるとなれば一番手間のかかるパートである。スタヂヲのやうにあらかじめセットしてあれば別だが・・・。
運搬に人の手を借りねばならぬこともしばしばで、まぁ私はもぅトシだし、腰も肩も腕も心配なので手伝わんやうにはしてゐるが、ウンウン唸りながら階段を行き来するドラマーを気の毒に思ふこともたまにある。
ギタリストも、数本のギターを持ち込み、またえへくたーも多用するとあらば、その手間はなかなかのものがある。
いちばん楽、といふか身軽なのは、やはりピヤニストで、彼ら彼女らはだぃたぃ会場に置いてあるピヤノを使う。そのピヤノが良いものか悪いものかはまた別問題として、その楽器を使わざるを得ない点はリスキーではあるが、彼らが楽器を運搬する苦労や手間を一番知らないのも確かだ。
私はベーシストで、しかも4弦ベース一本しか使わんのでまだアレだが、弦がたくさんある人やいっぱいサオを使う人なんぞは、調弦もまた一苦労なのである。その調弦の手間もまた、他のパートが知り得ない手間となり、まだ調弦が済んでないのに他にガチャガチャ演り始められると、「Hey !!」とは言ひたくもならう。
違うパートの楽器同士は、なかなか分かり合えない。
話は全然変わるが、以前調理人として仕込みに入ってゐた店で、とあるアマチュアのバンドのリハが始まる、といふ。『脇で仕込みしてるけど気にしないでね〜』とか言って任務を遂行しながら、何とは無しにバンドの音が耳に入っては来てゐた。
ところがこの人たちが、いつまで経ってもリハを始めんのには驚いた。もぅ全員セッティングが終わってゐるのに、それぞれが勝手に音を出し、それそれの世界に没頭してゐる。「これ、なに待ち?」と思はず声をかけてしまったほど、だった。
タイム・イズ・マニィ。
時は金で買えるのである。
いや、金払って場所借りてンなら、さっさと始めんと損だらうによ、と思ふ私は吝嗇に違いない。
その心に本当の春を
みんな元気かな?
コロナ禍が始まって、そろそろ丸壱年が経とうとしてをります。
思へば2020年1月末のツアー。
ちょーど横浜で千秋楽を迎え、翌日羽田空港に向かうバスの中から見た、あのダイヤモンド・プリンセスが停泊してゐた光景を憶えております。バス内のTVでも深刻化するコロナの流感が囁かれており、『どうなるんだらう?』と思ひながら飛行機に乗ったあの日から、もぅづいぶん時が過ぎたやうな気がします。
何度かの「波」をやり過ごし、ちょこちょこ旅に出れた時もありましたが、基本的には活動の制約を余儀なくされたことは間違い無く、年間100本近く演ってゐたライヴ数が、結局50と少しだった、といふ事実はやはり動かしがたい「停滞」ですね。
いろんな音楽家たちが苦境に立たされてゐる現在、みんなどぅしてるかな?といふ気持ちはとても強くあります。
それは交流のある友人ミュージシャンに限らず、例えば、クリスチャン・ヴァンデとか、フリップ・ブゾネとか、ジャマラディーン・タクマとか、あぁいふ世界的なビッグネームも含めて・・・。
気難しいインテリ哲学者ギタリストだと思はれてゐたロバート・フリップ氏が、奥さんとともにコメディアンに転向したか?と思ふやうな動画を上げてゐる、といふ例もありますが、他の人たちは・・・・?
まぁライヴ演んなくても音源やらの印税で食べれるやうな人はさほど変わらん、といふか、逆に篭って好きな事ができてゐるのかもしれませんね。かういふ段になると、各家庭にそれなりに音が出せたり、録ったりできる部屋がある、ひろ〜い家に住む海外のミュージシャンが羨ましいですな。日頃はそんなものに憧れたことはないんだけど・・・。
後期のビートルズやXTCがさうであったやうに、完全なレコーディング・バンド、てのにちょいと憧れてゐたフシはあります。私は日頃決してアクティヴな方ではなく、むしろ家に篭って楽器弾いたり本読んだり映画見たり飯作ったりする方が好きなので、その延長に音楽があれば・・・と思ってゐたのですが・・・・。
実際そんなかんぢの世界になってみると、やはりリアルに人と会って音楽がやりたいですね。
その事が自分のモティベーションになってゐたのだ、と気づかされました。
このまま世界が封鎖されてしまう、やうな事にはならんとは思ひますが、この自分の身体が旅に耐えられるうちに、また全国各地や海外を巡りたい、と今、強くつよく思ってをります。
みんな健やかで。
*写真は膨大な量の中の一部です。
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