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つくよみの唄 4

「なにかお薦めのものをください」

男が言った。

「お薦め、ねぇ・・。貝なんざイケますか?」
「貝、ですか」
「冷凍モンですがね」
「それにしてください」

あるじが厨房らしきところに引っ込んだ。
それと入れ替わりに女性が奥から出て来て「いらっしゃいませ」と微笑みかけた。

「まだあんまり準備ができてなくて、ごめんなさいね」

女が愛想良く云ふ。

「いいぇ・・・ちょいと早く来すぎてしまったので・・」

「ゆっくりしてってくださいね」

女はさう言って店を周り、細々した準備を進めた。美しい女性だった。「母性」を強く感じる美しさで、朗らかだが粗野な雰囲気が全くない。あるじもさうだったが、この女性も年齢不詳だった。このふたりは夫婦なのだらうか?。

テーブルの準備を終えたらしい女がカウンターに入り、男の前に回って来た。背が高い。白いブラウスの上に淡い緑色のエプロンをつけてゐる。長い髪を頭のてっぺんで無造作に、しかし的確にまとめ、やや古風な簪を着けてゐた。女の背後に暮れてゆく日が見え、良い感じだった。
厨房から香ばしい薫りが漂って来た。

「お待たせしました」

男の前に湯気の立つ皿が置かれた。
小ぶりの貝がバターで炒められてゐた。ほのかに醤油の香りもする。
箸をつけるとコクのある旨味が舌に広がった。シムプルな味付けだがかすかにピリっとする所があり、男は麦酒をさらに注文し、しばらくはその貝のバター炒めの味に没頭した。

つくよみの歌 3

あるじに案内されて、男は店に入った。
開店したばかりなので、当然まだ客はいない。

「どこでも好きな席にどうぞ」
あるじの言葉に、店をざっと見渡す。さほど広い店ではない。カウンターに10席と、テーブルが3つ。15人ぐらいでいっぱいになりさうな規模である。男はカウンターの隅に席を取った。カウンターの後ろがガラス張りで、あるじに向かい合うと外の景色が見渡せる。さほど気の利いた景色が見える訳ではないが、狭い店の閉塞感をうまく取り除く効果はある。

「なんか飲みますか?」
あるじの問いかけに、男はビールを注文した。濃い色のサングラスを取り、胸のポケットに仕舞う。さういふものを無造作にテーブルに置かないところから見ても、この男がそれなりに甘くない人生を送って来たことがわかる。
ほどなく、ビールと小鉢が男の前に置かれた。ビールはよく冷えてゐて美味い。小鉢にはせんべいのやうなものが入ってゐる。手に取ると羽のやうに軽く、一口齧るとサクサクした食感の中にエビの味が広がる。気の利いた突き出しだ。

手元にメニューらしき冊子がある。見事な毛筆の手書き文字だ。ところどころに、やはり毛筆でちぃさな絵が描かれてゐる。魚だったり、鳥だったりはわかるが、猫や蛇、トカゲといったものたちまで描かれてゐて、およそ飲食店には相応しくはない挿絵だが、あっけらかんとしたタッチは、いくつかのメニューと品よく同居してゐた。

「けふのライヴはいつ頃始まりますか?」
男が訊ねた。
「あ〜、ウチはだいたいお客が集まってから、で、特に時間は決まってないんですよ。で、これが客もライヴに合わせて来やがるもんで、このごろは開演時間がどんどん遅めになって来ちまってて・・・」

あるじが笑いながら答えた。

つくよみの歌 2

「西」自治区H-73市 居酒屋椎修。

夕刻。
1人の男が開店を待ってゐた。
歳のころ30代半ば、といったところか。短く刈りそろえた頭髪に、腰までのコート。無精髭の浮いた顔に濃い色のサングラスをかけてゐる。肩には使い古した革のバッグ。一見強面にも見えるが「無頼」の雰囲気は感じられず、気負いのない立ち姿は、どことなく「経験を積んだ旅人」といった風情であった。

居酒屋の扉が開き、暖簾を手に店主が顔を出した。
男の姿を見ると一瞬「おっ」といふ表情をしたが、自然な会釈で相好を崩す。
男も軽く頭を下げ、店主に問いかける。

「この店ではライヴが聴ける、と聞いたんですが・・・」

戦争に続いた疫病のために、この国にはあらたに「集合法」といふ法律が生まれた。定められた人数以上の集会を禁止し、審査の末に政府が認めた場所でしか、人が集まれないといふ法律だ。
市井では『アメリカ禁酒法以来の悪法』と呼ばれ、ほとんどの人民が守ることはないが、時折行われる査察=いわば「ガサ入れ」では、毎年数十名の摘発者を出してゐる。

なにより、あの疫病の影はいまもなを人民の心の底に恐怖として残ってをり、あれを防ぐためなら仕方ない、と云ふ風潮は、もぅずいぶん長い間、人々の自由な動きを封じてゐた。TVは政府の走狗となり、疫病のピーク時に撮影されたおどろおどろしい場面をせっせと増撮し、それを気まぐれに電波に流し、人民に深い警戒心を植え付け続けてゐた。

「あぁ、聴いていきますか?」

店主が答える。一見気難しさうな顔立ちだが、笑うと子供のやうなアクの抜けた顔になる。スキンヘッドに近い頭に、アラブ地方の男性がかぶる帽子=ワッチに似たものを被り、黒いソムリエ・エプロンを身に付けてゐた。

この、奇妙な居酒屋「椎修」のことは、風の噂に乗って、「西」自治区以外の場所でも囁かれてゐるのであった。

 

つくよみの唄

21世紀の半ば、大きな戦争があった。

戦争など起こさぬし、起こるはずもない、と云はれ続けた国の片隅から勃発した争いは、やがて国土を包み、それは他国に飛び火する前に「内戦」となった。隣国からの弾道ミサイルを懸念してゐた国民は、内部で東西に分かれて激しく戦火を散らした。かつて世界のどの国より安全で自由だったはずの小さな国が、隣の県に移ることさえ困難な紛争の国となった。

お決まりの、他国による軍事介入があり、戦闘は激化し、多くの被災民が西へ東へ逃げ惑い、そのうち、何故この戦争が起こったか、など、皆忘れ果てたころ、なんとなく「終戦」を迎えた。追い討ちをかけるやうに、あの未曾有の「天災」が起こった。あとに残ったのは、荒廃した国土と、職業も肩書きも失った、かつて呑気な自由と安全を謳歌してゐた、腑抜けた人民だけだった。
よぅするに、人類はまた性懲りもなく、時代を繰り返したのである。

荒廃した国家は必死に立て直しを図ったが、戦争とそれに続いた災害へのあまりの不甲斐なさに、人民は完全に政治を見放してゐた。経済は二重化し、「一部富裕層」と「そうでないもの」の暮らしは完全に二部された社会が始まった。
富裕層は高層ビルとそれに付随する施設に暮らし、中には「土の大地」を踏まずに一生を終えるものすらゐた。そうでないものは残された土地に新天地を求め、厳しくも逞しく、ある意味ではそれを謳歌して生きた。

 

「西」自治区 H-73市に、「椎修」と云ふちぃさな居酒屋があった。

小鉢に入った酒の肴が10種類程度と、地味な酒が置いてあるだけの店だが、そこそこに繁盛してゐるらしく、客が絶えることはない。歳の頃50代近辺と思はれる男女が切り盛りしてゐる。主に男が厨房に立ち、女が給仕をしてゐる。

如月も半ばをすぎ

バンドとして誕生以降、外的な理由でライヴがないひと月、といふのをまた経験中のしーシュです。

約10年ぐらい前、私 シュウはまだフェースブックに席を置いておらず、SNSでの発信はおもにしーなが担当しておりました。
今読み返しても、甲斐甲斐しくマメにライヴスケヂュールを更新してくれておりました。
逆に云うと、さういふ「ネタ」に事欠かぬ=告知するべきライヴ活動に満ち満ちてゐた、といふことでもあるでしょう。

水上はるこさんの著書『レモン・ソング』といふのがあるのですが、フィクションながらここで描かれる「70年代〜を生き抜いたロック・ミュージシャンたちの奔放な日々」が美しいです。
『さうさう!これよ!』
といふやうな、要は我ら楽師は、かういふモノに憧れてゐたんだよなぁ、といふかんぢです。

私は数年ほど、いわゆる「カタギ勤め」の経験があるのですが、仕事そのものよりも、そのためにせねばならぬ「早寝早起き」がイヤでイヤで・・・・。「いつかこんな仕事はサデ辞めて、朝まで起きてて昼に寝て夜に活くる日々を過ごすのだ!」と、それを夢に日々を生きておりました。

よもや、それが可能な晩年になって、自分の意思で早寝早起きの暮らしをする日々が来ようなどとは露とも思はなんだですねぇ。

ライヴもなく、旅もない今の暮らしでは、本当に早寝早起き、小食、であります。

あてもなくツラツラと書きましたが、もはやあんまり読む人もいませんからねぇ、ここ・・・。

まぁ、こんなかんぢでツラツラと、今後も駄文を書き連ねていきますよ。