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つくよみの歌 2

「西」自治区H-73市 居酒屋椎修。

夕刻。
1人の男が開店を待ってゐた。
歳のころ30代半ば、といったところか。短く刈りそろえた頭髪に、腰までのコート。無精髭の浮いた顔に濃い色のサングラスをかけてゐる。肩には使い古した革のバッグ。一見強面にも見えるが「無頼」の雰囲気は感じられず、気負いのない立ち姿は、どことなく「経験を積んだ旅人」といった風情であった。

居酒屋の扉が開き、暖簾を手に店主が顔を出した。
男の姿を見ると一瞬「おっ」といふ表情をしたが、自然な会釈で相好を崩す。
男も軽く頭を下げ、店主に問いかける。

「この店ではライヴが聴ける、と聞いたんですが・・・」

戦争に続いた疫病のために、この国にはあらたに「集合法」といふ法律が生まれた。定められた人数以上の集会を禁止し、審査の末に政府が認めた場所でしか、人が集まれないといふ法律だ。
市井では『アメリカ禁酒法以来の悪法』と呼ばれ、ほとんどの人民が守ることはないが、時折行われる査察=いわば「ガサ入れ」では、毎年数十名の摘発者を出してゐる。

なにより、あの疫病の影はいまもなを人民の心の底に恐怖として残ってをり、あれを防ぐためなら仕方ない、と云ふ風潮は、もぅずいぶん長い間、人々の自由な動きを封じてゐた。TVは政府の走狗となり、疫病のピーク時に撮影されたおどろおどろしい場面をせっせと増撮し、それを気まぐれに電波に流し、人民に深い警戒心を植え付け続けてゐた。

「あぁ、聴いていきますか?」

店主が答える。一見気難しさうな顔立ちだが、笑うと子供のやうなアクの抜けた顔になる。スキンヘッドに近い頭に、アラブ地方の男性がかぶる帽子=ワッチに似たものを被り、黒いソムリエ・エプロンを身に付けてゐた。

この、奇妙な居酒屋「椎修」のことは、風の噂に乗って、「西」自治区以外の場所でも囁かれてゐるのであった。

 

つくよみの唄

21世紀の半ば、大きな戦争があった。

戦争など起こさぬし、起こるはずもない、と云はれ続けた国の片隅から勃発した争いは、やがて国土を包み、それは他国に飛び火する前に「内戦」となった。隣国からの弾道ミサイルを懸念してゐた国民は、内部で東西に分かれて激しく戦火を散らした。かつて世界のどの国より安全で自由だったはずの小さな国が、隣の県に移ることさえ困難な紛争の国となった。

お決まりの、他国による軍事介入があり、戦闘は激化し、多くの被災民が西へ東へ逃げ惑い、そのうち、何故この戦争が起こったか、など、皆忘れ果てたころ、なんとなく「終戦」を迎えた。追い討ちをかけるやうに、あの未曾有の「天災」が起こった。あとに残ったのは、荒廃した国土と、職業も肩書きも失った、かつて呑気な自由と安全を謳歌してゐた、腑抜けた人民だけだった。
よぅするに、人類はまた性懲りもなく、時代を繰り返したのである。

荒廃した国家は必死に立て直しを図ったが、戦争とそれに続いた災害へのあまりの不甲斐なさに、人民は完全に政治を見放してゐた。経済は二重化し、「一部富裕層」と「そうでないもの」の暮らしは完全に二部された社会が始まった。
富裕層は高層ビルとそれに付随する施設に暮らし、中には「土の大地」を踏まずに一生を終えるものすらゐた。そうでないものは残された土地に新天地を求め、厳しくも逞しく、ある意味ではそれを謳歌して生きた。

 

「西」自治区 H-73市に、「椎修」と云ふちぃさな居酒屋があった。

小鉢に入った酒の肴が10種類程度と、地味な酒が置いてあるだけの店だが、そこそこに繁盛してゐるらしく、客が絶えることはない。歳の頃50代近辺と思はれる男女が切り盛りしてゐる。主に男が厨房に立ち、女が給仕をしてゐる。

如月も半ばをすぎ

バンドとして誕生以降、外的な理由でライヴがないひと月、といふのをまた経験中のしーシュです。

約10年ぐらい前、私 シュウはまだフェースブックに席を置いておらず、SNSでの発信はおもにしーなが担当しておりました。
今読み返しても、甲斐甲斐しくマメにライヴスケヂュールを更新してくれておりました。
逆に云うと、さういふ「ネタ」に事欠かぬ=告知するべきライヴ活動に満ち満ちてゐた、といふことでもあるでしょう。

水上はるこさんの著書『レモン・ソング』といふのがあるのですが、フィクションながらここで描かれる「70年代〜を生き抜いたロック・ミュージシャンたちの奔放な日々」が美しいです。
『さうさう!これよ!』
といふやうな、要は我ら楽師は、かういふモノに憧れてゐたんだよなぁ、といふかんぢです。

私は数年ほど、いわゆる「カタギ勤め」の経験があるのですが、仕事そのものよりも、そのためにせねばならぬ「早寝早起き」がイヤでイヤで・・・・。「いつかこんな仕事はサデ辞めて、朝まで起きてて昼に寝て夜に活くる日々を過ごすのだ!」と、それを夢に日々を生きておりました。

よもや、それが可能な晩年になって、自分の意思で早寝早起きの暮らしをする日々が来ようなどとは露とも思はなんだですねぇ。

ライヴもなく、旅もない今の暮らしでは、本当に早寝早起き、小食、であります。

あてもなくツラツラと書きましたが、もはやあんまり読む人もいませんからねぇ、ここ・・・。

まぁ、こんなかんぢでツラツラと、今後も駄文を書き連ねていきますよ。

寅年を迎え

新年明けましておめでとうあります。

去年はコロナ2年目、といふことで色々と活動の制限を余儀なくされましたが、その中でも配信や配信や配信やタマのツアーで、我らはよくやったと自分らを褒めてゐます。2年ぶりに会うツアー仲間に会えたりしたのも嬉しかったですね。

思へばコロナが始まった頃は、負けるものか!といふ気概が強く、また世間的にも怯えながらもそのやうな風潮は感じましたので、ぢつを云ふと個人的にはウキウキしたかんぢもありました(私は、ね・・)。

しかしいつまで経っても進展しない状況、その中で、結局大きな政治力はいぜん力を持ち続け、阿呆な政治屋はなんの決断も出せず、マスコミはひたすら国民を怯えさせるだけで打開策も示さず、仲の良かった人々の間にさえ、意味のない溝ができ、まったく不毛な諍いまで起こるやうになり、もぅいい加減ウンザリです。

「自粛疲れ」などとマスコミは云ひますが、疲れてなんぞないのです。
ただ「呆れて」ゐるだけで。

さう、結局、我らから自由や他の多くを奪ったのは、コロナそのものではなく、この「風潮」に他ならないのです。

まぁそんな事を声高にアジったって仕方ありません。
ライヴや旅ができるためなら、我らはなんでもしますよ。
瑣末なことに時間を割いて、ただただ老いを促進させる無駄な時間は、我らにはないのです。

さう。我らに明日は、あんまりない。
今年もそんなかんぢで進んでまいります。

よろしくお願いします。

づっと個人的な好みでこの写真を使ってをりましたが

今年はこれで

楽師のつぶやき

更新が滞っておりますしーシュのブログ

ごめんなさいね。

コロナが〜といふ接頭語にももぅ飽き飽きしたかんぢですが、だらだら続くこの混乱にも、人々が慣れ、またその慣れから生じる新しい混乱もあり、まぁ人の世といふは無常といふか性懲りのない、といふか・・・

楽師といふものは、雇い手=聴き手、があって初めて成り立つ仕事ですが、まぁそればかりではない。こんなご時世の中、もっと混乱した世界の中にあっても、楽師、音楽家といふは存在しております。たれに求められる訳でなくとも、自らを音楽家として存在させる事ができる人だけが、真の楽師と言へるでしょう。

昔、酒の席でこんな議論をした事があります。

今のニポンは幸いにも豊かで自由であり、プロであらうがアマであらうが、音楽をやる、やりたい、といふ意思が「体制の力」で挫けることは、ほぼないと言へるでしょう。あるとすればそは「家庭の事情」で、私は知っておりますが『日頃の仕事だけで火の車なのにツアーに出るなんざあーたは何を考へてゐるの?』と云はれる楽師もゐたと聞きます。

ま、それはそれで勝手にやってください。

問題なのは、「自由に音楽をやってはならない」といふ力が働く場合です。

世界には、不幸にもまださういふ国がいっぱいあります。政治的に、風潮的に、宗教的に、音楽が許されない国。忘れがちですが、ツイ数十年前のニポンもさうだったのです。そして、このたびのコロナ状況下でも・・・・。

そんな時勢の中で、我は楽師なり、と高らかに言へるモノであるか?。

銃を向けられ、歌ったら撃つ、と言はれて私は歌えるか?。

たれも音楽なんぞ求めなくなった中で、ただ自分の心のためだけに、音楽を作り続ける事ができるか?。

私は今もそれを考へ続けながら、楽師をやらせていただいております。